今年のお米作りは、種籾から苗を育てて、その生育を収穫まで見守りながら共に成長できたらと、暮らしの中に一つ軸が通ったようなそんな日々の連続だった。手探りの中、種籾から根が出たら喜び、それをどのように苗まで育てるか、場所を確保するのにどうしたらいいかなどなど、一つ一つの工程にイメージと祈りを織り交ぜながら過ごして来た。あれ?病気かな?なんて心配もどこへやら、古代米の神丹穂は実に逞しくあっという間にそれらを乗り越えて本来のみなぎる逞しさ美しさを惜しみなく解き放って来た。赤よりもえんじ色の様な濃い赤みから、刻々と色が変化して赤紫〜紫〜紺の様ななんとも言えない自然界にしか醸し出せない絶妙なる色味。台風の後には、背かとても高いこの品種は実った頭がしなだれて来て、大変!とばかりに何束かを束ねて自立させる際には、神丹穂と抱き合い紐を結ぶと、本当に生命そのものとのハグをしている感覚になりとても神秘的な気持ちと同時に、里山の棚田でひとりでその作業をしながらも、全く孤独ではないむしろこんなに無数の生命と共に生きていて、そして見守られているかの様な感覚になったりもした。
明日は、稲刈りを4人で予定していてあっという間に終わってしまいそうで、どこか名残惜しくもある。